单项选择题
[二]
外国で暮らし始めて戸惑うことのひとつは、使い慣れたはずの道具の使い勝手が異なることである。あるべきものがあるはずのところについていない。例えば、電気掃除機。われわれの感覚では、スイッチは吸い込みホースを持って操作をするときにちょうど支える手がくる位置にあるのが当然と考える。ところが、わたしがドイツで住んでた部屋に備えられていた掃除機の場合、モーターや集塵器などを納める本体にスイッチがあった。しばらくは不便を感じながら、屈んではスイッチを入れ、また屈んではスイッチを切る、を繰り返していたのだが、床に対する感覚が変わってくるにつれ、やっと立ったまま足で操作するのが自然にできるようになった。そうして、足で操作するようになって、スイッチが大きくて丈夫にできていることに納得がいった。
掃除機のスイッチの位置をめぐる彼我の違いは、居住室内の床に対する日常生活上の感覚の違いや生活空間における目線の高低の違いに由来するものだろう。試みに、手で触ることが普通に感じられる生活範囲を「手の感覚」の場所、それよりしたを「足の感覚」の場所と呼んでおこう。ドイツ(欧米)の感覚では、床は外部の地面延長上にある。だから外部から内部に到る境目、すなわち玄関と室内との段差は存在しないし、室内でも靴は脱がない。少なくとも、足元に関する限り、外と内との間に意識の断絶はないのだ。したがって、目線は室内でも概して腰より上に安定しがちである。それより下は、誤って蹴っ飛ばしても構わないものしか存在しない場所と言ってもいいかもしれない。つまり、床は完全に「足の感覚」の場所なのである。
それに対して、一般の日本の家屋では、床は地面とは別感覚の平面である。和室が減って、洋風の床が大勢を占めている今日でも、この事情は変わらない。直に床に座ったり、横になったりする場合もまれではないので、目線の位置は低く、生活の基本的な視線は床の隅々にまで及んでいるのが常である。これには、天井の高低よりも、室内では靴を履かないという習慣が決定的になっているのだろう。室内の床は接していながらも疎遠な「足の感覚」の場所ではなく、「手の感覚」がまだ及んでいる場所なのである。だから、床の上に壊れやすかったり、汚れたりしたら困るようなものまで置くのをためらわない人は多い。そのときの扱い方は、靴を履いた場所で扱うときとは、明らかにデリケートさにおいて異なっているのである。
筆者の言うドイツの「足の感覚」の場所はどこか。